1部昇格を決めたあと、佐々木監督と固く抱擁を交わした。
主将としてチームを率いるだけではなく、佐々木監督と想いを同じくする同志のような立場にいる者として、強い絆を感じるシーンだった。
大学バスケットにおける核は4年生だ。今年の専修大は試合だけを見るとプレイヤーとして試合に長く出る4年生はそう多くなく、野﨑もそうだ。しかし試合後のサークルでは佐々木監督は「4年生が4年生らしくあったから」と、ただただ4年生たちを称えた。コートの内外におけるふるまいやリーダーシップ、地域社会におけるさまざまな活動まで、今年の4年生はチームにとってかけがえない役割を果たしており、それを引っ張ったのが野﨑だ。
インタビューではさまざまな想いが言葉からあふれ出た。とりわけ「どうしても伝えて欲しい」と希望したのは、自分たちがどれだけ支えられ、それに感謝しているかということだった。
気持ちでつかんだ勝利と、応援への感謝
─初戦に勝利し、昨日は敗れた中で迎えた第3戦は、なかなか難しかったと思います。チームはどのような雰囲気でしたか。
「昨日は、本当は自分たちが決めるぞという思いで試合に入りました。ただ、相手は絶対に負けられないと追い込まれた状況で、自分たちは精神面で負けてしまったところがありました。戦術的に少し変更した部分もありましたが、今日の試合に関しては99%、むしろ100%が気持ちだという思いを、選手全員に伝えました。何が何でもつかみ取ろうと。今年のスローガンである『Take the next』、自分たちの手でつかみ取るということを、自分たちで実現しようと試合に入りました。その思いが最後の最後までプレーに乗って、40分間、全員でつながれたと感じています」
─相手は4年生が主体のチームで、前半は相手のほうが良い状況でした。
「そうですね。これはぜひ伝えていただきたいのですが、自分たちの選手だけでなく、OBの皆さん、保護者の皆さん、関係者の皆さん、ファンの皆さん、そして同じ大学のほかの部活動のメンバーも、本当にたくさん応援に来てくださいました。皆さんが1部昇格を願ってくださって、大学バスケの聖地である代々木が、まるで自分たちのホームコートのように感じられました。そのことには、本当に大きな感謝を伝えたいです」
─反対側から見ていても、たくさんの人がいて盛り上がっていました。それに感謝の気持ちを持ってプレーしていたんですね。
佐々木監督が試合後のサークルで「4年生が4年生らしくあった」とおっしゃっていましたが、具体的にはどのような部分でしょうか。
「先発ガードの10番、加藤が怪我をして、今日も試合の直前まで出場できるよう粘ったのですが、最終戦には出場できないことになりました。ほかの4年生も、なかなか自分のプレータイムが多くない中で、それでもコートの中でも外でも、さらにはベンチの外でも、チームに対してできることがあるのではないかと考えていました。自分はよく、チームにとって本当にプラスになる発言や言葉を発し続けてほしいと伝えています。それがチームの勝利につながり、チームの価値を高めることにもつながるからです。4年生が最後の最後まで、そうしたことを続けてくれました。コートに立つ機会は確かに少なかったかもしれませんが、いろいろな場所、要所要所で、下級生が伸び伸びとプレーできるようにつないでくれたのだと思います。それに下級生が、気持ちとプレーで応えてくれました」

SOARERS ACTIONで生み出す新しい大学バスケの価値
─野崎選手がキャプテンになり、「SOARERS ACTION」というものを立ち上げたと伺いました。どなたが発案し、取り組みたいと考えたのでしょうか。
「自分はもともと個人でちょっとした貢献活動をしていましたが、チームじゃないのがもったいないというか、もっとしっかりした形にしたいなとも思っていました。そこで、スポンサー企業の皆さんとの食事会で、『こうした活動をしませんか』と提案させていただきました。すると、やろうという話になり、クリニックや、プロになったOBの方に凱旋していただく80周年記念クリニックを開催し、そのクリニックには140人ほど来ていただきました。ほかにも1日店長企画もあったし、実はこれからの企画もいろいろ考えています。大学バスケには、高校バスケにはない価値を提供できる部分がとても多いと思っています。そうした価値を、ほかのチームに先駆けて自分たちが自発的に行動して生み出していこうという想いで立ち上げました」
─すばらしいですね。アイデアだけでなく、実行力もありますね。それを学生である野﨑選手が主導しているのですね。
「優一さん(佐々木監督)にはかなり任せていただいたというか、自分で企画案を作ったり、選手をどのように配置するか考えたり、企画書を作成したりすることも、自由にやっていいという形でした。そうしたところも優一さんの良さだと思います」
─近畿大附属高校から専修大学に進学してバスケットボールを続けると決めたとき、そこまで考えていらっしゃいましたか。
「いいえ、まったく考えていませんでした。自分は大学3年生のときから副キャプテンを務めさせてもらっていますが、おそらくこれは優一さんが就任されてから初めての形で、とても信頼してくださっていると感じました。プレー面だけでなく、精神面でも、部活動の垣根を越えたさまざまな活動でも、期待してくださっていると思ったし、優一さんが自分の良さを引き出してくれて、専修大学を選んで本当に良かったと思います」

専修大学への進学と、高校の恩師から学んだこと
─専修大学へはご自身で選んで進学されたのでしょうか。
「自分は近畿大学附属高校出身ですが、そのまま近畿大学に進学したらバスケットボールは続けないつもりでした。ただ、高校時代にコロナの影響で全国大会に出場できなくなり、悔しい思いをしました。それで、もう少し続けたいと思うようになり、OBの西野さん(現B.ONE福井)の背中を追いかけて、ご縁のあった専修大学に入学させていただきました。専修は強豪で、自分の中では、一番下からのスタートでした。だからこそ、何が何でも自分の色を大切にしながら、チームに少しでもプラスのエネルギーを与えられる人間に4年間をかけてなろうと覚悟を持って入学し、それが今日、少し形になったと感じています」
─それほどの覚悟で関東での大学バスケに挑戦したんですね。近畿大学附属高校の出身者には、しっかりした方が多いですね。
「大森先生という、とても面白い先生がいらっしゃって、そのせいかもしれません。今日も、この入れ替え戦の前に『入れ替え戦頑張っています!』という風に連絡したら、『相変わらず熱いな。プールに行けよ』という感じで返事があって(笑)、先生の言葉一つで僕の気持ちの緊張が解けたというか、そういった形でゲーム前にリラックスした状態でゲーム前に臨めました。本当に恩師はいつまでも恩師だなと思います」
─それでは、この結果を大森先生に報告しないといけませんね。
「はい、すぐにご報告します(笑)」
─近畿大学附属高校は日曜日の活動を休みにしたり、年休を取り入れたり、興味深い取り組みをされているところですよね。そこで学んだことが大学バスケでの活動にも影響しているのでしょうか。
「そうだと思います。『バスケットはすごく好き、だけど人生の一部でしかない』っていうのが高校のスローガンなんですが、バスケットボールだけを頑張るのではなく、ほかにも自分のやりたいことや挑戦したいことに、どんどん挑戦していこうという話を、高校の3年間でしっかり教わりました。大学でも、もちろんバスケットボールには全力で取り組み、1部昇格を目標に、キャプテンとして覚悟を持ってチームを引っ張ってきました。それに加えて、さらに新しい価値を生み出していくための活動は、大森先生の教えを形にしているように思います。
近畿大学附属高校の出身者に個性的な人が多いのは、大森先生がそういうふうに育ててくださっているのだと思います。とても印象に残っているのは、3年生の時の大会の前にめちゃくちゃみんなで朝練とか、練習終わりとかシュートを打ち込んでいたんです。 そうしたら帰れ帰れ、やめとけやめとけみたいな感じで、『バスケットから離れろ、明日になったら死ぬほどバスケットができんねんから、やめろやめろ』みたいな感じで。もちろん、バスケットボールも大切です。ただ、それを人生の一部としながら、いろいろなことを学び、さまざまな分野で活躍することが、先生の願いでもあると思います。だから社会人になってからも頑張ります」
─この先も、何らかの形でバスケットボールを続けられるのでしょうか。
「大学バスケを引退したら、プレーヤーとしてのバスケットボールは引退し、コーチとしてのキャリアをスタートさせます。大学のコーチだけでなく、中学生や小学生など、小さな子どもたちに教える活動も、これからずっと続けていこうと思っています。
この結果が出て、本当に自分は恵まれていると感じています。まず一番感謝したいのは家族です。高校までは大阪から突然、専修大学に行くと決めました。それでも反対せずに送り出してくれました。費用もたくさんかかりますし、仕送りもたくさんしてくれています。そうした両親や家族の支えが、自分が自由に活動させてもらえる支えの一つになっているので、そのことに感謝したいです。そして、メンバーにも本当に恵まれています。その感謝の想いが少し形になったことが、うれしいです」

受け継いだものと新しいスタイルを融合させ、次の世代へ
─専修大学はこれまで、プレーヤーの個性が強いチームでしたが、それとは違う色を野﨑選手が出したように思います。今では部活動にとどまらない活動に取り組むチームもありますが、時代にも求められていますね。
「昔の専修大学には、少し悪いというか、少しネガティブなイメージもあったと思います。ただ、自分が1年のときのキャプテンだった赤嶺さんの代ぐらいから、少しずつ変わってきたと思います。優一さんもバスケットボールが上手なだけではなく、精神面でも強く、考え方の面でも良い選手をどんどんリクルートしていこうとされていて、ここ4年ほどで変わってきたのだと思います。そして次は、それを自分が後輩たちにつないでいきたいです。今日はゴールドのユニフォーム(※)を着用しましたが、昔からのオールドスタイルの荒々しさや専修大学らしさを持ちつつ、新しい時代の流れにきちんと乗っていくスタイルを自分は作りたいと思っています。それを少しずつ、後輩たちに受け渡していきたいです」
※専修大のゴールドユニホームは大会決勝戦やホームゲームなど、特別なときにだけ着用するサードユニフォームで、20年以上前から使用されている伝統色。サードユニフォームを濃色として通常着用していた時代もあり、その当時は個性の強い選手揃いだった。
─今の4年生は介川選手(現Bプレミア島根)やジョベ選手と同期ですね。
「そうです。最初は同期が11人いて、関東新人戦では2年連続で決勝まで進みましたが、その後主要な選手が抜け、今年の4年生は本当につらい思いをしてきました。それでも、ここまで来ることができました。皆、本当によく頑張りました。全員に感謝しています。スタッフも、チームや選手のために一生懸命取り組んでくれるメンバーが集まりました。いろいろなことがありましたが、シーズンを通して良かったと思います」
─報われましたね。まだインカレもあります。引き続き頑張ってください。
「はい、頑張ります。少し休んでから、インカレへの出場が決まった以上、ここからは勝負の世界なので、あらためて気持ちを作って取り組んでいきたいです。また、4年生がチームを引っ張っていくことも大切です。残りの1カ月間、どのような形であっても、4年生がしっかりとチームを引っ張り、一つでも多く勝ち上がれるように、1戦1戦をチームで戦っていけるように、良い準備をしてインカレの舞台に臨みたいと思います」

野﨑稜太/のざき りょうた
183cm/80kg
近畿大学附属


