ハードかつ熱いプレーで入学時から活躍してきた神田。今季は主将として「日本一」を掲げ、能力豊かなメンバーたちをいかにまとめ、輝かせることに挑戦し、組織作りの難しさを体験した1年でもあった。インカレはグループステージからの参戦となったが、大阪産業大に破れてこのステージでの敗退が決まった。入れ替え戦を経験し、インカレまでにチームをもう一度高めるには、準備が間に合わなかったことも伺える。今年はリーグ戦でも多くの苦労を味わった。しかし順調ではなかったからこそ、今年得た教訓は多いはず。来季には主力のほとんどが残り、能力は申し分ない。その上で後輩たちには「対話し、価値観をすり合わせて欲しい」と、メッセージを残した。
─今の率直な気持ちを聞かせてください。
「一番素直な気持ちは、こういう結果で終わってしまって悔しいということです。関東の代表として、そして関東の1部で戦うということは、こういうことだと示さなければいけないのに、それができませんでした」
─入れ替え戦もあり、そこからの準備になりましたが、インカレに向けて整えることはできたでしょうか?
「正直なところ、入れ替え戦の後、大会に向けてチームを作り上げるということができていなかったと思います。それが初戦に出たのが全てです」
─今年、コートに立つ時間はそう長くありませんでした。神田選手はどのような貢献を考えていましたか。
「今年に関しては、早慶戦までは自分がコートの上に立って背中で引っ張るということがすごく重要だと思っていました。でもリーグの途中からは、リーダーシップのスタイルを変えなくてはいけないと、ずっと苦労していました。コートに立つチャンスもあり、また自分がどういう使われ方をするのかを模索しながら、その上で自分がどういう立ち位置でプレーして貢献するのかということにすごく苦労したところがあります。貢献のしかたに悩み続けた1年でした」
─一方で、1年生はプレータイムも長く、しかもリーグ戦は長期にわたり大変だったと思います。伝えられたことはありますか?
「自分やクレイトン(#25宮川)、剛(#91ホセイン)など、4年生がメンターとなって、下級生とコミュニケーションを取る時間も作っていました。大輝(#12土家)と僕は厳しく後輩に当たって、剛とクレイトンが後輩との距離を詰めてくれて、よく絡んでくれました。そこの役割分担ということは暗黙の中でできていて、そんなに苦労ではなかったです。4年生たちとは支え合いましたね。本当に宝のような存在です。ただ、コートには4年が多く立っていないということもあり、言えなかったこともありました」
─これで引退となります。早稲田大に来て学べたと感じていることは。
「僕は関東の1部でバスケをしたくて、そして早稲田に入りたくて自己推薦で合格しました。この先、バスケはやらず、組織作りなどを行うコンサルティングのような業界へと進路を決めています。だから、キャプテンとして、組織を作ること、チームを作ることの難しさを経験したのが一番の学びです。こういう経験は絶対に必要です。早稲田でバスケをすることで学べたことなので、ここに来て、本当にやりがいのあるものを見出すことができたと思っています」
─後輩には何を期待されますか?
「本当に一つだけ、対話する能力を身につけて欲しいと思います。うちは一人一人の個人の能力は高く、どこのチームにも劣るものはないと思っています。でもチームを一つの輪として作るためには、それぞれの価値観をすり合わせなければいけません。思っていることをちゃんと伝えないといけないし、聞く側もちゃんと相手側がどういう意図で言っているのか、汲み取らないといけません。選手同士だけでなくて、スタッフ、コーチ陣を含めてすべてと対話する能力を身につけていってもらいたいです」
─下級生たちはそうしたことの大切さに気づけているでしょうか。
「気づいてはいると思うんですが、まだうまくできていないのが正直なところです。ファーストステップは、価値観をすり合わせてそれを乗り越えていくこと。簡単ではないと思いますが、何気ないことでも会話する、そういった機会を増やすことが始まりだと思います。人と人との関係性をいかに作っていくか、そしてそれを自分がどう作っていくかということだと思うので、対話を大事にやっていって欲しいです」