4年前、スタメンの多くに1年生が起用された日本体育大。そこから主力として4年間、春トーナメント3連覇や新人戦優勝、リーグ戦優勝など早田や西部、月岡、石川は日本体育大の顔として活躍し、結果を出してきた。春には「先輩たちが自分たちを自由にプレーさせてくれていた」と感謝して入った最終学年。今季は3年生たちもプレータイムを伸ばしてチームの底上げにつなげた。
インカレはベスト8で青山学院大と延長の末に勝利。ベスト4では東海大にリードされつつ最後まで挑み続けたが、敗れた。彼らが悲願としてきたインカレの壁は今年も高かったが、最高の仲間と出会い、4年間切磋琢磨し、日本体育大が一つの時代を築いたのは確かだ。残すは天皇杯。自分たちが勝ち取った切符で最後の最後まで戦い抜く。
「もう気持ちだけだった」ベスト4をかけた最後の試合
─準々決勝は東海大にリードされつつ、それでも点差を離されずしぶとくついていった試合でした。どの辺大事にしていましたか?
「もう気持ち。気持ちですね。インカレは気持ちだけです。リーグ戦だったらあそこで離されていたと思うんですけど、そこはファイトしていきました。ただ6秒オフェンスが出せなかったというのが大きな要因かなと思います」
─確かに最後まで全員が気持ちの見えるプレーでした。そういう意味では日本体育大らしさのある試合だったと思います。
「あとは同じメンバーでずっとやってきて、相手も慣れているみたいな感じの中で、新しいバスケットをやるっていうのが、難しい1年間だったかなと思います。4年間の積み重ねの中でこいつはこういうプレーする、こいつはこういうプレーするというアジャストが完璧にされていて、そこを超えていくことができませんでした」
─メンバーがずっと同じなところはいいところでもあるし、対応されるという点では難しさもありますね。そこに新しい強みが欲しかったというところでしょうか。
「4年生の4人には阿吽の呼吸がありますが、そこに新しい選手が出てくると違うリズムになることもありますし、いい面もあれば課題も出てきたシーズンでした」

同期の4年は自然体でいられる「家族」のような存在
─それでも、4人が4年間主力としてチームを引っ張ってきたのはすごいことです。自分の4年間は振り返るとどんなものでしたか?
「自分としては、日本体育大に入学して普通にやれる気持ちはありましたが、ここまでやれるって確信があったわけではないので、思った以上に頑張れたなと思います。本当に仲間に恵まれたと思います」
─そこまで通用するとどこまで想像していましたか?
「大学では全く通用しないわけではなく普通にやれるという感覚でしたが、シンプルにここで挑戦してみたいなと思っていました。そんな中で主力としてプレーできたのは、運良くライオンズのバスケットとマッチしたのが良かったのかなと思います。オフェンスができる選手が多いので自分はディフェンスで粘ることを心がけましたが、そこがみんなとは違うところとしてアピールできて、評価されたと思います」

─4番ポジションで泥臭い仕事をするのが早田選手というイメージで、チームには他に似たタイプがいません。そういう意味ではなくてはならない存在でした。
今年は国内外での国際試合にも出場しましたが、その経験は自分にとってはどういうものになりましたか?
「日本と違うような雰囲気だったり、審判のジャッジあったりっていうので、試合の中でそういう側に合わせていく対応力がついたのかなと。国内の試合で生かせたかというと、今年はファウルトラブルになることが少なかったので、いろんな試合経験があったからこそアジャストできたのかなと思います。去年のインカレは多分3分でファウルを4回ぐらいやっていると思うんです。そういう意味で今日も含めて今年はコートに立ち続けられたことは収穫といいますか、成長した部分です」
─まだ1月に天皇杯がありますが、大学生相手の試合はここで終わります。4年間一緒やってきて、同期はどういう仲間でしたか?
「ほぼ家族みたいな感じですね。寮でも一緒ですし、学校の授業もほぼ一緒なんですよ。1日中一緒にいることが多くて、だからこそものすごく自然な雰囲気で過ごせました。こちらから寄せるということもなく、当たり前のようにお互いがいて、仲いいのが自分たちの強みでした」
─これからドラフトもあります。将来的にはどういうプレーヤーを目指していますか?
「3&Dですね。そのためにはもっとオフボールの動きをレベルアップさせることや、味方を生かしながら自分も得点を狙っていかなきゃいけないと思うので。視野の広さも必要だし高めたいです」

早田流星(はやた りゅうせい)
185cm/85kg
福岡第一高

